いつものSにて。

無性に登りたく、ゆっくり一人になりたかったのでザックにいろいろ詰めこんできた。
コーヒー飲みつつ、穏やかに晴れた山並みを見つつ、クロスで過熱しっぱなしの頭を冷ましてます。
1週間経った今、改めて振り返ると、楽しかった思い出しか残っていない。もう一度、それぞれの場面に戻りたいという気持ちが強く、戻れない事が淋しい気持ちにさせる。ギリギリの過酷な状況を乗り切った事でチームというより家族と言った方がしっくりくるメンバー。みんな何してんだろう?と気にしつつ仕事に追われる日々だった。クロスで休んだしわ寄せであえいでた。
練習に忙しかった事が懐かしい。
どんな絶景が見えるのか、と期待してたが、すべて雨、期待した景色はひとつもなかった。
遠くがガスに煙って、寒々しい山。それと薄濁りの川。
でも遠くが見えない代わりに近くがよく見えた。笑い顔と泣き顔。テンパった顔、心配してくれる顔など。
この4日間は「人」だった気がする。いろいろな人に助けられたし、人からいろいろな事を教わった。
2日目でリタイヤしたが、ここでリタイヤしてよかったな、と言いあっていた。3日目の、コースタイム19時間の2000m級縦走は雪の中だった。吹雪にも見舞われ相当過酷だったと聞いた。しかたなくビバークしたチームもあった。突っ込んでいたらもっと危ない目にあっていただろうと言い合う仲間を見ていた。
全く同感であったが、ちょっと違う感想も持っていた。2日目でリタイヤせず3日目を挑んでいたとしても突っ込まずすぐ引き返しただろうと思うのだ。2日目の手痛い経験から用心して重装備になっていただろうし、臆病になっているので、いつでも逃げれる半身スタンスで挑んでいたと思う。
状況は刻々と変化するのだ。今回の魔のレグ6(笑)だって、雨じゃなければ、夜じゃなければ、熊笹が生えてなければ、ラフト68キロの疲労がなければ、と一つでも抜けていれば、またぜんぜん違った結果になっていたはずだ。それは良い方向かもしれないし、さらに悪い方向にもなっていたかもしれない。
大先輩のもさんが忠告してくれた通り、いろんな要素が積み重なり予期せぬ状況に追い込まれた。あっという間だった。
田中正人隊長が言ったスマートに対応する、という意味がこのあたりにあると思う。刻々と変化する状況にドタバタせずスマートに合わせる。常に先手を打つ。
かといって臆病すぎて挑まず撤退は情けない。何をしに来たのかそれこそワカラン。
このあたりの駆け引きが非常に難しい。この駆け引きができるようになるには、冷静な判断力、引き出しの多さ、精神力、そういうものが必要だと痛感した。
そして、最後は体力。走力なんて薄っぺらいものじゃなく、もっと芯にある体の強さ。これが最後はものを言う。
いい目標がみえた。
いい経験ができた。この経験は必ず次に繋がる。チームの大きな引き出しになった。
このレースは今までとは全く違ったレースだった。正人隊長が世界を感じれるようにと作った大会。確かに異質だった。
完全なパワーゲーム。というかサバイバルレース。行ってちゃんと帰ってこい的な。
ドタバタしたが、最後はちゃんと帰ってきた。
全員、無事に。
世界クオリティーレースに出て帰ってきたのだ。経験の少ないヒヨッコチームだけど一丸となって無事だった。堂々と胸を張れる。
刺激的で素晴らしい大会だった。これほどの大会に仕上げるまで、どれほど時間と労力を要したか想像もつかない。台風での開催に踏み切られ波乱のレースに選手以上にヤキモキされただろうと思う。
これ以上ない極上の大会。これを書いてる間に、また興奮してきた。
2年後、きっちりステップアップして挑みたい。
そろそろ下山してイベント仕事に行かねばならない。
明日からはラフトガイドの訓練が始まる。
やることは沢山あるな。
最後に。
カッパクラブの代表取締役、小橋研二さんが10月28日(月)午後6時50分に北海道にて交通事故により逝去された。
クロスの翌日の出来事だ。アドベンチャー界を強力にサポートしてくださった方で残念でならない。
ご冥福をお祈りいたします。